夫の転勤に伴い、一緒に全国各地へ移動している妻たち=転妻(てんつま)。狭い日本のなかとはいえ、転勤回数が10回越えの転妻も存在する。土地を移るたびに生活をリスタートさせ、新たな文化や人間関係のなかで過ごす彼女たちは、どんな経験を積んできたのか。
それを教えてもらうべく、転妻たちの共助社会づくりや自立支援を担う団体『転勤族協会TKT48』のメンバーである現役の転妻4名に協力をいただき、座談会を開いた。ほかの場所から移住したからこそ見えてきた、その土地の特異性や魅力、衝撃的だった出来事について語ってもらった。(第1回:【転妻座談会】12か所に移り住んだ猛者も! 結婚、仕事、言葉はどうなる? 転勤族の妻たちによる“本音トーク”/第2回:【転妻座談会#2】解読不能レベルの方言の連続に目が点! 転勤先で“うまくやる”ためのライフハックとは)
◎入間川美佳さん(転妻歴13年)
出身:島根県/現住所:福岡県
家族構成:夫、長女(小4)、次女(小1)
結婚後に住んだ場所:島根→埼玉→福岡(引っ越し2回)
◎尾田尚子さん(転妻歴25年)
出身:東京都/現住所:神奈川県
家族構成:夫、長男(大4)、次男(高3)、三男(高1)
結婚後に住んだ場所:高知→埼玉→東京→山口→北海道→神奈川(引っ越し5回)
◎加藤晴子さん(転妻歴28年)
出身:静岡県/現住所:福岡県
家族構成:夫
結婚後に住んだ場所:静岡→富山→埼玉→東京→愛知→青森→大阪→神奈川→宮城→神奈川→静岡→福岡(引っ越し11回)
◎信田千絵さん(転妻歴8年)
出身:静岡県/現住所:埼玉県
家族構成:夫、長男(小1)、次男(年中)
結婚後に住んだ場所:北海道→長野→埼玉(引っ越し2回)
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◎ライター・池守りぜね……座談会の司会兼ライター。転妻ではないが、父親の仕事の都合で転校を繰り返した、元転娘(てんむす)、という立場で座談会に参加
出身:東京都
家族構成:夫、長女(小2)
結婚するまでに住んだ場所:東京→愛知→宮城→埼玉→東京(引っ越し4回)
雪国での生活はサバイバル! 死ぬかと思った出来事とは
──赴任先の気候も、生活にかなり影響しますよね。
加藤(以下、敬称略)「静岡育ちで雪を知らずに育ったので、雪国での生活はうれしかった。でも、青森の私が住んでいた地域は、1年の半分はふぶいているんです。引っ越したのが一八豪雪(平成18年に全国的に発生した豪雪)の年だったから、例年以上に雪がすごくて。“雪国って、ここまでなるんだ……”って実感しました」
──積雪はつらいですよね。私も雪国の経験がありますが、学校に行くだけで大変だった記憶があります。
信田「本当、大変ですよね。札幌に移った日も、“着陸します”というタイミングのときに吹雪で、飛行機が旋回しだしたんです。“これ、本当に着陸できるの? ”って不安になりました。その年の冬は、寒さと雪のすごさで、うつというか“外に出たら死んじゃう……”みたいな気持ちになりましたね」
──雪国では、そこに雪かきという作業も加わりますからね。
信田「うちは道民じゃないので、雪かきは免除だったんですよ」
尾田「ええっ! 」
信田「本州から来ましたって言ったら、大丈夫でしたよ」
尾田「なんと。私は、“ママさんダンプ”(一度に多くの雪を運べる、大きなスコップ状の除雪道具)を初めて使いましたよ。“それを使いこなせないと、一人前の道民じゃない”って言われました(笑)。腰を入れながら押さないと、前に進めないんです。ママさんダンプと車の雪下ろしは、毎日やっていましたね」
──転勤先が雪国ならではの苦労もあるのですね……。
尾田「吹雪って、前も見えなくなる。出かけるときは降っていないのに、帰ろうと思ったら吹雪になったりすると、前の車のテールランプだけを頼りに運転するんですよ。本当に死ぬかもって思いましたね」
信田さん、うなずく。
尾田「タクシーの運転手さんにその話をしたら、“対向車線と反対側に雪山の壁ができているから、その壁に車をぶつけながら帰るといいよ”ってアドバイスをもらいました」
入間川「えっ、壁にぶつけるんですか!?」
尾田「そうすれば、車が対向車線と反対側に行くので。“車が壊れるよりも、命のほうが大事だよ”って言われましたね」
──首都圏で雪が降ると、みなさん交通機関のインフラを気にしますが、そのレベルではないですよね。
一同、うなずく。
尾田「子どもが小さかったころは、そりで幼稚園に連れていっていました」
信田「そうそう! 」
──そりで登園している子がほかにもいたのですか?
尾田「はい。雪で車輪が動かないから、ベビーカーは使えない。だから、普通にそりで登園していましたね」
信田「うちの近所のスーパーにも、そりが置いてありましたよ」
尾田「そうそう。おばあちゃんでも、そりで買い物に行く人がいました。そりは遊びや買い物にも使えるので、一家に1台は持っていました」
──北海道では、家のなかは暖かいと聞きますが、実際にそうでしたか?
信田「暖かいですが、暖房が止まったら死にますよね」
尾田「うん。北海道は、停電になったら死ぬなって思いましたよ」
──えええっ!
信田「自治体から配られるチラシに、“地震が起きたときに必要なもの”って書いてあるじゃないですか。あのなかに、新聞紙とか、電気が止まって寒くても家のなかで耐えられるものが必ず書いてあるんです。新聞を肩やおなかにかけておけば、多少は暖かく過ごせる。暖房が止まったら、部屋に氷が張るくらい寒いんです」
尾田「でも、普段は家のなかが暖かいので、厚めのヒートテックを室内で着ていると汗をかいちゃう。北海道って家のなかでは、薄着じゃないですか? 」
信田「薄着ですね。ぶ厚めのジャンパーを着ていれば、春と変わらない」
尾田「転勤してくる人のほうが、寒さを警戒して、最初は重装備なんですよね(笑)」
信田「外に出て、“今日は0度を超えているな”とか、わかるようになりました」
尾田「そうですね。0度を超えていれば暖かいなって感じですね(笑)。あと、マイナス10度になると、まつげが凍る」
一同「(笑)」
朝のワイドショーは地元のスポーツニュース一色
──地元色が強い地域ならではのエピソードってありましたか?
入間川「福岡は地元愛がすごい。プロ野球チームの福岡ソフトバンクホークスも、強いから盛りあがっているし、札幌や仙台もそういう傾向があると思うんです」
──私は子どものころ名古屋に住んでいたので、同級生の男子はみんな中日ドラゴンズの野球帽をかぶっていました。
入間川「地元以外の球団名が言えないっていう雰囲気がありますよね(笑)」
──スポーツは地元に根づいていますよね。
尾田「朝のワイドショーのニュースがまず違いますからね」
入間川&信田「確かに! 」
尾田「例えば、北海道にいたときは、スポーツニュースが『今日の(北海道日本ハム)ファイターズ』っていう感じなんです」
入間川「地元の球団専門番組みたいな感じですよね」
──どの球団を応援するかは、地域色を感じるかもしれませんね。
信田「野球だけではないんですよ。今住んでいるところが『埼玉スタジアム2002』とも近いので、すごいんです。服装が(プロサッカーチームの浦和レッドダイヤモンズのチームカラーを身につけていて)、みんな赤い!(笑)。札幌に住んでいたときには、北海道日本ハムファイターズに大谷(翔平)選手が所属していて人気だったのですが、その比じゃないというくらい、埼玉のサッカー熱はすごかったです。もう、近寄れないくらい。試合がある日には、子どもたちに“ほかのサッカーチームの名前は口に出すな”って言っています(笑)」
転妻だからこそわかる、地方のいいところ
──みなさんは、転妻でよかったことってありましたか?
信田「長野に住んでいたときは善光寺が近かったので、毎日のように子どもを連れていっていました。札幌では、スーパーに六花亭(人気の製菓メーカー)が入っていたので、よく買いにいきました。六花亭って、実はテーマソングもあるんですよ! 地元民だと、お店の存在が当たり前になっていると思うので、(地元の銘菓にも喜びを感じられるところが)道外から来てよかったって思いましたね」
加藤「青森は日本のなかでも四季がはっきりしていました。1年を通して住んでみたからこそわかったし、ほかの地域から移ってきたから気づいたと思う。春の芽吹きの緑の美しさや、夏に響く蝉(せみ)の声。ねぶた祭りが終わると秋の風が吹いて、山が燃えるような紅葉になる。冬は深い雪。ずっと住んでいると(慣れてしまって)わからなかったと思うので、いい経験ができました」
尾田「関東から北海道に旅行に行くと、観光地をピンポイントでしか回れない。でも、住んでいれば道内旅行や、キャンプにも出かけられる。山口にいるときは絶景が広がる角島大橋も見に行けたし、転勤先を拠点に、なかなか行けない場所に足を運べたのはよかったです」
入間川「私は地方出身なので、大好きなディズニーランドには飛行機に乗って行っていましたが、埼玉に転勤になってからは、いつでも行けるからうれしいなって思いました。あと、福岡はご飯がおいしいし、宮崎や鹿児島など、これまで行きづらかったところへも旅行がしやすくなったので楽しいです」
──反対に、転妻でつらかったことはありましたか? 私は子どものころ、遠方に住む祖母と1年に1回しか会えないのが寂しかった記憶があります。
信田「確かに、実家が遠いのはつらいなって思いますね。うちの両親はフットワークが軽いので、地元から北海道にも来てくれたりしました。でも、今はコロナウイルスの影響もあって、兵庫に住む夫の両親とは2、3年くらい会えていない。子どもも、祖母の記憶が薄れていくみたいですね」
尾田「つらいのは、子どもが病気になったときでしたね。兄弟が順番にうつって、最後に自分がかかってしまっても、親元が遠いので頼れなくて。あと、自分の仕事のキャリアも中断しました。転妻は、決まった仕事に就きにくいというデメリットがありますね」
転勤を繰り返すなかでの苦悩、得られたことは?
尾田さんが語った「決まった仕事に就きにくい」という悩みに、大きくうなずいた一同。
──転勤しながらのキャリア形成は、転妻たちに共通の悩みかもしれません。
入間川「私も、自分のキャリアへの喪失感をすごく抱きました。これから結婚する方で、転勤族と付き合っている人には、仕事に関する葛藤があるよ、ということを声を大にして言いたいですね。仕事については特に、自分だけじゃどうしようもできないってことが、かなりありますね」
──これからは、どこにいても働けるようなリモートワークも、どんどん定着するといいですよね。
入間川「自分が稼げる収入も変わってきますし、正社員でずっとやっていきたい人には、転妻はつらいかもしれません。でも転勤族の奥さまって、周りを見ると優秀な方や、人間力がすばらしい方が多いんですよ」
──それは今回、お話を伺っていて感じました。
入間川「社会に出て活躍できるのに、夫の仕事の関係で専業主婦をしている人もいる。今は昔よりは自由度が高くなったけれど、まだ難しいですよね。私はそのあたりの支援をライフワークのひとつにしたいと思っていて、キャリアについての勉強をしています」
──転妻のみなさんは、新しい環境になじむコミュニケーション能力も高いですよね。
尾田「うちは男の子が3人なので、外との関わりが避けられませんでしたね。息子が勝手に約束してきちゃったりするので、子どもを介してのコミュニティに入らないといけない。(地元の方と)豚汁作りとかもやりました。でも、あとで考えると、それが転勤先の地域を知るきっかけにもなったので、よかったです」
──転妻だからこそ、身についたスキルがありますか。
入間川「情報収集能力と、環境適応能力ですかね」
一同、首を大きく縦に振る。
入間川「適応できる力は、地元にいたころより、ついたなと思います。さらには、危機回避能力とかね」
加藤「家を選ぶときなんかは、そのカンが特に働きますよね。一生住むわけではないけれど、慣れない土地に何年か住むので真剣だし。夫からも、“家を探すことになったらすごいよね”って言われました(笑)」
──転勤族にとっては特に、家が癒やしの場所になりますよね。
加藤「夫も慣れない土地で働いて疲れて帰ってくるので、ゆっくりできる環境を作るのが、私の仕事のひとつかなって思う。たとえ夫婦で会話をする時間がない日でも、帰ってくれば安心できるっていうのなら、それがいちばんですよね」
家選びから子どもの教育まわり、そして夫のサポートなどまで、自分のキャリアを差し置いても、家族を支えながら奮闘している転妻たち。多様性が叫ばれる世のなかで、転妻たちのキャリアを生かして活躍できるような場がもっと増えることを願う。
(取材・文/池守りぜね)
【取材協力:『転勤族協会TKT48』URL→http://tkt48.net/】