かつての大人気番組、『アメリカ横断ウルトラクイズ』(以下、ウルトラクイズ)。その第10回大会(1986年)で、決勝まで行かせていただいた私の体験から、これまで数々の裏話をお伝えし、特にニューヨークの決勝戦については、過去3回にわたって掲載させていただきました。
○【アメリカ横断ウルトラクイズ裏話】決勝進出者が語る──人生を変えたニューヨーク決勝直前の数時間
〇【アメリカ横断ウルトラクイズ裏話】 決勝進出者が語る、ニューヨーク決勝戦の一騎打ち。「もう、ダメだ……」そのとき、心に火をつけたものとは
〇【アメリカ横断ウルトラクイズ裏話】 ニューヨーク決勝進出者が語る、絶体絶命からの猛反撃。そして最後の1問
今回は、その番外編。ニューヨーク決戦直後に、出題・海外リポーター・福留功男さん(以下、留さん)から敗者(私)へ行われた、インタビューについて。テレビ放送ではカットされたその内容を、37年の時を経て、初めて書かせていただきます。
◇ ◇ ◇
決勝直後、留さんから「何か最後に言い残すことはあるか?」
ウルトラクイズでは、敗者には必ず罰ゲームが行われます。
アメリカ本土まで行った参加者にとってこの罰ゲームは、ゴールデンタイム高視聴率番組の時間を個人で独占できる、ある意味「オイシイ時間」。
そんなウルトラクイズで唯一、罰ゲームらしい罰ゲームが行われないのが、決勝戦なのです。ですが、優勝を逃した準優勝者は、決勝戦が終ってから留さんにひたすらに無視され、いっさいインタビューされません。
実はこれが、「準優勝者に対する罰ゲーム」なのだ、ということをスタッフから聞いたというお話は、以前にここでお話をしたとおりです。
(こちらの記事で詳しく紹介しています→伝説の『アメリカ横断ウルトラクイズ』、砂漠を歩いて帰るなど、罰ゲームの“裏側”)
しかし。
実は、第10回のウルトラクイズでは、優勝が決まった直後、優勝者へのインタビューを終えた留さんが、私に声をかけてくれたのです。
「西沢、何か最後に言い残すことはあるか?」
“えっ? 話しかけてくれるの?”これが、頭に最初に浮かんだことでした。
まだカメラが回っています。それなのに、準優勝者へのこの言葉。
それが、決勝で熱戦を演じた私への留さんのご褒美(お情け?)だったのか、いままでのウルトラクイズでも準優勝者に声をかけていて、単にオンエアされていないだけだったのかはわかりません。
とにかく、ありがたいことに、私は「言葉を残す機会」を与えられたのです。
走馬灯のように頭によみがえってきた日々と、ある“思い”
何を言おうかと思った瞬間。後楽園球場の〇✕クイズ予選を突破してから、ニューヨークでの決勝戦までの日々が、走馬灯のように頭によみがえりました。
その年、社会人になって1年目だった私は、会社に入ってからまだ半年しかたっていませんでした。そんなド新人が「丸1か月、会社を休んで、アメリカに行ってクイズをやりたい」などと、スットンキョウなことを言い出したのです。会社の方たちはさぞ驚き、あきれたことでしょう。
後楽園の予選を突破した翌日の月曜日、朝イチで会社の役員に、ウルトラクイズの日程表を見せ「会社を1か月休んで、これに参加したいんです」と伝えたときは、「おまえ、こんなもの、まっとうな社会人が参加できると思ってるのか!」と言われました。
直属の課長からは、少し困った顔で「いま、この時期に覚えてもらいたいことがたくさんあるんだよね」と言われました。
でも……。
結局、最後には、役員も、課長も、係長も「そんなに行きたいなら、行ってくれば」と、私のわがままを笑顔で許してくれたのです。
留さんから「何か言い残すことは?」とマイクを向けられたとき、そんな数々の出来事がバーッと頭に浮かんできて、私はこう答えました。
「ここまで来ることを許してくださった会社の皆さんに、心からお礼が言いたいです」
もちろん、そんな個人的なコメントがオンエアで使われることはありませんでした。
ですので、37年ぶりに、ここであらためてお礼を申し上げます。
ウルトラクイズで1か月、会社をお休みすることを許していただき、本当にありがとうございました。今の私があるのは、あのとき、わがままを許していただいたおかげです。
オーバーでなく、ウルトラクイズで決勝まで行っていなければ、1冊目の本(『壁を越えられないときに教えてくれる一流の人のすごい考え方』アスコム社)の企画が、出版社に採用されることはなかったと思います。
この本は、有名人のエピソードをクイズ形式で紹介する内容なので、編集会議で企画を通すとき、少なからず私の「ウルトラクイズ準優勝」という肩書が、後押しになってくれたのです。
ですから、今こうして本を書くことを生業(なりわい)にし、ネットで記事を書かせていただけるのも、ウルトラクイズへの参加を快く許してくださったみなさんのおかげなんです。
ちなみに帰国後に知ったことですが、アメリカに行ったきり、電話ひとつかけてこない(実家に国際電話をしたのは1か月の間に1回だけでした)息子のことを心配した私の両親は、「もしかして、もう会社をクビになっているのでは?」と勘ぐって、会社に電話をかけたことがあったそうです。
そのときに電話に出た取締役は「会社は気持ちよく送り出していますので、ご心配には及びません」と神対応をしてくださったとのこと。
あらためて感謝しかありません。
思い出すたびに、自分が周りの人たちに助けられて生きていることを、感じずにはいられないのです。
(文/西沢泰生、編集/本間美帆)
【PROFILE】 西沢泰生(にしざわ・やすお) 2012年、会社員時代に『壁を越えられないときに教えてくれる一流の人のすごい考え方』(アスコム)で作家デビュー。現在は作家として独立。主な著書『夜、眠る前に読むと心が「ほっ」とする50の物語』(三笠書房)『コーヒーと楽しむ 心が「ホッと」温まる50の物語』(PHP文庫)他。趣味のクイズでは「アタック25」優勝、「第10回アメリカ横断ウルトラクイズ」準優勝など。