1986年、39歳でのデビューから現在まで「ひとりの生き方」をテーマに、多くの著書を発表してきたノンフィクション作家の松原惇子さん。松原さんが愛してやまない猫たちとの思い出と、猫から学んだあれこれをつづる連載エッセイです。
第11回→猫の飼い主が悩む「動物病院へ連れていくストレス」。グレちゃんのために“往診専門の獣医さん”を頼んでみたら
第12回
ペットが亡くなるのは、親が亡くなるより悲しいものである。最近、なんとなくグレの調子が悪そうだと気になってはいたが、書く仕事に追われていたわたしは、そんなに大事になるとは考えていなかった。
しかし、やはり気になり、例の怪しくてやさしい獣医さんに診てもらうことにした。検査の結果、どうも腎臓と肝臓の数値が異常らしい。わたしは、先生の表情から深刻であることを感じとった。
グレを失うかもしれない予感で頭が真っ白に
「えっ、まだ14歳なのに? いつからそんな深刻に?」
猫の平均寿命は14歳くらいと言われている。ということは、わたしの知らない間に、グレはわたしの年齢に追いついていたことになる。時の過ぎるのは速い。特に昨今は、1年経つのが速い。まさに光陰矢の如しとはこのことではないだろうか。猫にとり、人間の1年が5年ぐらいに値するので、考えてみれば短い一生なのだ。そうだよね。確かに毛の艶は無くなったし、脚も曲がってきたが、顔はまったく変わらないので、わたしはまだまだ生きるとどこかで思い込んでいるところがあったようだ。まさか、内臓が悲鳴を上げているとは。ああ、これは飼い主の責任でもある。
頭の中が混乱した。もともと口数の少ない先生は黙っている。わたしは勇気を出して聞いた。「先生! 覚悟をしておいたほうがいいでしょうか」先生は黙っていた。これが答えだ。
猫は好きだが、亡くなったときが辛いからと猫との暮らしを諦める人がいるが、わたしは、別れの辛さより、生きているときの素晴らしさを選択した。だから、亡くなるときの辛さは受け止めなければならない。わかっているが、現実になるとやはり動揺する。頭が真っ白になった。
大病をしたときに、健康のありがたさに気づくように、大事なことは失いかけたときに気づくようになっているのかもしれない。グレとのたわいもない平凡な毎日がどれだけわたしの生活に潤いを与えてくれていたか。それを思うと涙が止まらない。わたしを幸せにするためにいてくれた可愛い相棒、あんな小さな体で愛情を示してくれた相棒、暑くても寒くても文句を言わずに受け止めてくれた、わたしより人間ができている相棒。
猫は本当に不思議な生き物だと思う。人間に静かに寄り添ってくれる、やはり神様が人間に贈ったギフト以外の何物でもないという気になる。犬もほかの動物も大好きだが猫はちょっと違う。
そういえば、先日、わたしが主催している団体の集まりに来た60代ぐらいの女性が、母も死にひとりになってしまい生きているのが辛い、と話しかけてきたので、わたしは言った。
「猫を飼いなさいよ。その日から明るく生きていけるから」でも、その女性にはあまりいいアドバイスではなかったようだ。猫を飼ったことのない人にはわからないので、今後は猫を勧めないようにしようと思う。
振り返れば、わたしのひとり暮らしは幸せだった。泣くこともなく、死にたくなることもなく、いつも心が穏やかだった。それは、自分の力ではなく、猫の力を借りていたおかげだったのだ。
グレのいる風景こそがわたしの幸せの原点
先生が静かに帰って行った。グレはいつも、お気に入りのスツールに座り、わたしを見ている。何も変わらないいつもの光景だ。夕飯の時間になると、テレビをつけ、ひとり晩酌するわたしをグレは飽きもせずに見ている。素敵な光景だ。そのいつもの光景が、失われようとしている。
その日も、グレはスツールに座り、テレビではなくわたしを見ていた。しかし、その日は、もう見られなくなるかもしれないという気持ちでいっぱいになり、写真に残そうと、慌ててシャッターを切った。それがこの写真だ。なんて穏やかなのだろうか。グレとマミーの素敵な時間だ。
人生というのは、特別なことではなく、なんでもない日常が大事なのだと思わされる。グレのいる風景。これこそがわたしの幸せの原点だったようだ。友達や家族とは違う大事な大事な存在、それがグレだ。
グレの命が消えるかもしれない。毎日、わたしと一緒に暮らしてくれた相棒がいなくなる日が近づいている。わたしは受け止めることができるのか。不安がよぎる。先代のメッちゃんが亡くなったときの身を切られるような辛さがよみがえる。誰もいない家の玄関を開けることができず、昼は、ひとり代々木公園を彷徨い、夜は友達と遅くまで飲み、その勢いでベッドに飛び込む……あの辛さを再び味わうときが迫っていた。
*第13回に続きます。