初めて感じた愛校心と、悩んでいる人に伝えたいこと
進んだ高校で母の言うような一生の友達には出会わず、中学校と同じようにいじめや仲間はずれは日常的に起きていて、また不登校になりたいと何度も思ったし、進級できるかギリギリの出席日数のまま学校に通い続けていた。
悪意に満ちた中高時代を脱するには、ほかのところへ行くしかない。エスカレーター制で中高と同じ系列の大学に進むのは絶対に嫌だった。小中高時代をすべて葬りたい私は、AO入試で隣の都道府県にある女子大になんとか合格した。
明治時代に創立、戦後は関西最初の新制女子大学になった歴史のある学校で、西洋建築の美しいキャンパスやいじめのない環境、穏やかで優しい友人たちとも巡り合い、そのすべてによって私は「愛校心ってこれなんや」と気づいた。
時を経たいまも、私にとっての学校はその大学だけであり、幼稚園から高校までの話はできる限り避けている。
愛校心が芽ばえた大学時代と、卒業後に続く新卒で就職した会社での楽しい毎日は、私に潜在的な寂しさを忘れさせて20代前半まで続く。
その後、ショッキングな出来事をきっかけに再び地べたをはうような思いをして生きることになるのだが、10代から20代前半までのあいだは、生まれて初めて自分の人生を満喫できた。
当時の苦しみは忘れているだけで消えたわけではないので、きっかけがあれば私の内面にひょこっと顔を出して、どんどん広がっていく。苦しみ、つらさ、痛み、寂しさ。そのすべてを受け入れて愛せたらいいのにと思うのだが、それは自分の過去を受け入れる過程を経なければ成しえない。
今もできないことなので、私は10代の痛みを手で覆い隠すようにして生きている。
以前の記事にも書いたので繰り返しになるが、過酷な経験は人を弱くする。
大人になって思うのは、過去を受け入れられなくても、過去のせいで弱い自分ができあがってしまっても、それを否定しなくてもいいということだ。
10代を乗り越えて、いま。
「強くならなきゃ」と感じている人がいれば声をかけたい。
弱いままでもいいよ。
弱いままでも幸せになれるよ。
自分の経験から何かが伝えられるとしたら、この言葉がもっとも適しているだろう。
(文/若林理央)