「質問ばかりする子は天才」理解してくれた両親と先生

──子どものころはどうでしたか。ADHDの特性で、何か困ったことはありましたか。

武田さん小学校3年生くらいまでは、ひたすら明るい子だったらしいです。突拍子もないアイデアを次々と出すので、人気者だったんですよ。でも4年生くらいから「あいつ、うざいよね」ってなって。6年生から高校3年生までは、どんどん友達が離れていきました。暗黒時代ですね。

──それはつらいですね。

武田さん:そうね。でも、そのおかげで、母ちゃんが送ってくれた、相対性理論についての本とかをむさぼり読んで。音楽の世界にもハマって。人間と接していなかったから、“ピュアなまま”宇宙に没頭できたのかもしれない。

──大学卒業後は、就職をされていますね。NTT東日本の営業でしたっけ?

武田さん:はい。法人営業をしていました。

──そのときは何か困ったことはありましたか?

武田さん困ったのは僕というより、上司だと思いますね。営業先の社長を相手にしても、僕があまりにもフランクに接してしまうから。僕、誰の部屋であっても遠慮なしで入っていくんですよ。そもそも誰が偉い人なのか、よくわからなくて。

 機嫌が悪い人に対しては、ものすごく敏感なんですけど、組織のヒエラルキーはよくわからない。それで誰に対してもフラットな態度で接していたら、意外とお客さん側の偉い人は可愛がってくれたんですよね。だけど直属の上司は「失礼じゃないか」とヒヤヒヤしたと思う。突然「この会議って、何の意味もないですよね」なんて言ってしまうから、めっちゃ怒られました。

──子どものころから会社員時代も含めて、周りの方がADHDの特性を理解してくれたことはありましたか。

武田さんないな……。理解されたという感覚は、両親に対してだけですね。両親は僕のことを、もう「天才」としか言わなかった。怒られるとか、将来のことを心配されるとか、一度もないですから。熊本弁でびっくりしたときに「ばっ」と言うんですが、僕が何をしても「ばっ! 天才ばい!」と言ってくれました。

 あ! あと、思い出した。小学3年生のときの、眉間にほくろがある先生。僕はいつも授業中に「なんで?」ばかり言うから、よく怒られていたんです。その先生から突然、中庭に呼び出されて。僕、本名が大智(だいち)っていうんですけど「大智くん、あなたは質問ばっかりしてるね。すぐ手を挙げるでしょ」と言われて。ああ、また怒られるなと思って「すみません、ごめんなさい」と言ったら「天才だよ」って。「質問ばっかりする子は天才なのよ。あなた、すごい人になるわ」って言われた。いたね! 理解してくれる人。

どっしりと構えて、書をしたためる武田さん
武田さんのギャラリーに並ぶ作品たち。勢いがあってカッコいい!