プロジェクトの前に「自分の取扱説明書」を渡す

──書道家になってからは、生きやすくなったんですか。

武田さん今思えばそうね。小学校、中学校、高校、大学、会社員と、ずーっと社会のレールに乗っていたんですよ。それはそれで、レールに乗ったからこそ生きてこられた部分もあって、感謝しなければいけないんですけど。でも独立すると、レール自体がなくなるじゃないですか。確かに飯が食えなくなる危険はあるけど、心の中は、もうね、とんでもないエネルギーが出続けているんです。

 会社員時代は、「怒られるかも」と思ったら、すぐに“心の貝”を閉じるわけ。不穏な空気を感じたら、パッと心の中で「ごめんなさい」って。嫌われたり、変なふうに思われたりしたくない。その繰り返しの中で、ちょっとずつ自分を出すことを控えていくんです。でも会社をやめてからは、勢いだけがあるから、会う人会う人に「俺が世界を変えるんですよ」って言って。

 会社員と違って、必ず行かなければならない場所がないので、起きたいときに起きて「何をしよっか」から始まる。その積み重ねで、今に至った感じです。今日はストリートで書こうとか、メールマガジンの配信をやってみようとか。そうしているうちに、生徒さんが集まってきてくれた。その様子をホームページに書いたら、読んで感動してくれた人が、また全国から集まってきて。

「じゃあ、みんなで面白いことをしよう。みんなで海に行って書こう」とか、「巨大な書をつくろう」とか、ゲームみたいに考えて。そんなことをしていたら、いつの間にかメディアに出るようになりました。

──今もADHDの治療は続けていらっしゃるんですか。

武田さんいや、治療はしていないです。今、一般的に治療と呼ばれるものは薬の処方ですよね。先生に言われたのは、「薬を飲むかどうかは、本人が日常生活を送ることができるか、できないかで決まる」と。

──日常生活に支障があるか、というところがポイントなんですね。

武田さん:そう。例えば、ひとり暮らしで火事を起こすリスクがある人とか、不注意で交通事故に遭いやすい子どもとか、そういった個別の事情によって処方の有無が決まるんですよね。僕には一応、妻もいるし、秘書もいるので、治療はしない方向。この特性に合う仕事を選んでいます。

──ADHDとわかってから「こんなふうに対処したら楽になった」といったことはありますか。

武田さんものを失くしてしまうので、大事なものは自分で持たない。妻や秘書など、一緒にいる人に渡します。また、症状を抑えたり我慢したりするのではなく、ADHDの特性を生かせることしかしない。だから普段、メールのやりとりや事務的な仕事は秘書に任せています。あと、チームで取り組むプロジェクトの場合は、自分のマニュアルを最初にメンバーに渡しますね。

──最初に自分の特性を伝えるんですね。それをすると、仕事の進み方も違いますか?

武田さん:はい。今、チームで音楽をつくっているんですが、チームの人たちには事前に「僕は、決めたスケジュールを忘れてしまうことがある」って伝えてあります。そうすると、実際に忘れてしまったとしても、周りの人もあらかじめ想定していることなので、受け入れてくれることが多い。「今回が特別じゃないんだ。自分だけにやっているわけじゃない」とわかってもらえる。やはり、自分について周りの人に知ってもらうというのは、ADHDの人にとって大事なことだと思います。

武田さんの作業場の風景。力強い文字たちが並ぶ