ソン・ガンホを吹き替えるときは、彼の口元しか見ない
──山路さんは“欧米人とは違って、アジア人の吹き替えのほうがむしろ難しい”と言われています。
「同じ東洋人なので、顔立ちや骨格が似ているぶん、口の動きと台詞(せりふ)が合ってないと違和感が出てしまうんです。だから演じていても“うまくいってないな”と思うことがあります。そうならないように、ソン・ガンホやアジア人を吹き替えるときは、毎回、アフレコ前にしっかり準備しますね」
──ソン・ガンホの主演映画は、韓国独特の貧困層が生活する半地下住宅の住民が身分を偽って富裕層の家に入り込む『パラサイト 半地下の家族』も話題作になりました。
「彼は貧困家族の父親役でしたが、このときも顔の表情をほとんど使いませんでした。クライマックスでは、その無表情のまま衝撃的なシーンも演じます。彼の集大成的な作品だと思います」
──収録ではどのようなことを意識しましたか?
「ソン・ガンホの声を吹き込むときは、顔だけを見ています。特に口元ですね。彼は口だけが動いていて、あとはまったく表情を変えない演技をすることがあって、ぼくも吹き替えながら、“いつかはこういう芝居ができるようになりたいなあ”って思うんですよ」
──吹き替えを収録するときは、ほんの数人でやったり、1人ずつ別録りにすることが多いのだそうですね。全員がそろって吹き替えるのと、どちらがやりやすいんですか。
「それはもう絶対に全員がいたほうがいいです。いまはコロナの感染を予防しなければいけないこともあって、よけいに1人で収録するケースが増えました。家族の語らいや掛け合いのシーンを1人で録っていると、相手との呼吸や演技の温度差がわからなかったりします。距離感をつかむのが大変なんですよ」
──全員で1つの作品を作り上げているという一体感も薄れますよね。
「そうですね。吹き替えの場合、芝居と違って台本の読み合わせをしたり稽古をしたりすることはありません。それぞれが自分の役を見立てて、各自で練習するだけです。だから収録現場では全体の流れを読んで、他の声優がいい感じで声を当てているときはその流れに乗るとか、そのときどきの空気を察して反応しなければなりません。現場ではずっと感覚を研ぎ澄ましておく必要があるんです。
でも、それだけでぼくにはものすごい刺激になるし、ときには共演者に背中を押してもらったり、逆に走りすぎたときは引っ張り戻してもらえたりすることがあって、足並みもそろうんです。コロナの感染を防ぐためには致し方ないと思いますが、せっかく同じ作品で共演できたのに収録が入れ違いになることも多くて、特に若いやつらと交流する機会が減りました。もう一度キャストが一同に集まれるような世の中になってほしいですよね」
──先に他の方が収録して、それを聞きながらアフレコすることもあるんですか?
「もう当たり前のようにありますよ。そういうときは後に収録するほうがやりやすいんです。スタジオに行って“まだ誰も録っていません”と言われるのが一番怖い。収録の順番は声優のスケジュール次第なので、運任せです」
台本を保管しておけないくらい仕事量が増えた
──もともと舞台俳優をやってらして、山路さんの芝居を見たテレビプロデューサーの誘いで声優の仕事もやるようになったんですよね。その後はアニメの吹き替えもやっておられますが、舞台での演技と映画の吹き替え、アニメの仕事の中ではどれが一番お好きですか?
「元が舞台育ちなので、やっぱり舞台が一番楽かもしれません。初めて声優の仕事をしたときは、どこまで演技をすればいいのか、どのくらいの声量で演じればいいのかがわからなくて難儀した記憶があります」
──声優をやるようになってから変わったことなどは。人生観が変わったりしました?
「人生観はあまり変わらないですけども、声の仕事をするようになってからは、台本を手元に残しておけなくなりました。役者だけをやっていた頃、ぼくは自分が出演した舞台や芝居の台本は全部取っていたんです。そういう性格なんですが、声優をやるようになってからはそれができなくなった。全部残していたら大変な量になってしまうんですよ」