『鬼滅の刃』や『呪術廻戦』など、アニメ作品の劇場版が立て続けにヒットを飛ばしています。そして、作品に負けない人気を誇るのが、登場人物たちの“声”を担当する声優です。洋画に日本語の声を当てる“吹き替え”も、声優の大事な仕事の1つ。ベテランになると、ほとんど専任のようなかたちでハリウッド俳優の声を担当します。
山路和弘さんも、そんな声優の1人です。インタビュー第4回は、山路さんが吹き替えを担当するソン・ガンホのお話を伺います。
◎山路和弘さん#2「ヒュー・ジャックマン本人のアフレコ映像を見たとき、心の中で謝ったよ」
◎山路和弘さん#3「ラッセル・クロウのアクションは、ナタでバッサバッサと殴り倒す感じかな」
ソン・ガンホ、いかりや長介、ビートたけしに共通している演技力
──ソン・ガンホは韓国を代表する実力派俳優ですよね。
「『シュリ』(1999年製作)のイ・ジャンギルの吹き替えを担当したのが最初だと思いますが、当時は普通の若い俳優という印象でした。それが『大統領の理髪師』(2004年製作)をやったときには加速度的に素晴らしい役者になっていました。“あ、痛たたた。先を行かれちゃった。追っかけなきゃならないよ”と困った覚えがあります」
──どのようなところで、そんなふうにお感じになられたんですか?
「とりたてて教養があるわけでもない、街なかのどこにでもいる理髪師を演じたソン・ガンホの深みと言えばいいかな。ぼくが抱いていたレベルの3~4段は上に行っていました。表情を切り落とせるようになって、“腐った魚の眼”ができる役者になっていたんです」
──“腐った魚の眼”?
「むかしから、うまい役者をそういうふうに表現するんです。すべての演技を眼に落としていくと言うんですかね。瞳の深いところに喜びや悲しみといった感情が見える……みたいな。若い頃は“何を言ってんのかな”という感じでしたが、ぼくもそれなりの経験を積んで、“なるほど”と思えるようになりました。
日本人で言うと、亡くなったいかりや長介さんがそういう眼をすることができました。あとは、(北野)たけしさんですね」
──世界のキタノですか。お二人ともお笑いで名をはせ、俳優業もされるようになりました。何か共通する点があるのでしょうか?
「長さんとたけしさんは、“ツッコミ”が主な役割でした。ツッコミって、ボケが顔芸やオーバーなアクションをしているところへ、“おまえ、それは違うよ”と表情を変えずにボソッというバリエーションがあるじゃないですか。そういうことを数多く経験してきた人が深い役者さんになっていくのかもしれませんね。
ぼくも表情を消そうとした時期がありました。でも、ものすごく難しくてうまくいかないんですよ。だから、“腐った魚の目”ができる役者には憧れますね」
ソン・ガンホを吹き替えるときは、彼の口元しか見ない
──山路さんは“欧米人とは違って、アジア人の吹き替えのほうがむしろ難しい”と言われています。
「同じ東洋人なので、顔立ちや骨格が似ているぶん、口の動きと台詞(せりふ)が合ってないと違和感が出てしまうんです。だから演じていても“うまくいってないな”と思うことがあります。そうならないように、ソン・ガンホやアジア人を吹き替えるときは、毎回、アフレコ前にしっかり準備しますね」
──ソン・ガンホの主演映画は、韓国独特の貧困層が生活する半地下住宅の住民が身分を偽って富裕層の家に入り込む『パラサイト 半地下の家族』も話題作になりました。
「彼は貧困家族の父親役でしたが、このときも顔の表情をほとんど使いませんでした。クライマックスでは、その無表情のまま衝撃的なシーンも演じます。彼の集大成的な作品だと思います」
──収録ではどのようなことを意識しましたか?
「ソン・ガンホの声を吹き込むときは、顔だけを見ています。特に口元ですね。彼は口だけが動いていて、あとはまったく表情を変えない演技をすることがあって、ぼくも吹き替えながら、“いつかはこういう芝居ができるようになりたいなあ”って思うんですよ」
──吹き替えを収録するときは、ほんの数人でやったり、1人ずつ別録りにすることが多いのだそうですね。全員がそろって吹き替えるのと、どちらがやりやすいんですか。
「それはもう絶対に全員がいたほうがいいです。いまはコロナの感染を予防しなければいけないこともあって、よけいに1人で収録するケースが増えました。家族の語らいや掛け合いのシーンを1人で録っていると、相手との呼吸や演技の温度差がわからなかったりします。距離感をつかむのが大変なんですよ」
──全員で1つの作品を作り上げているという一体感も薄れますよね。
「そうですね。吹き替えの場合、芝居と違って台本の読み合わせをしたり稽古をしたりすることはありません。それぞれが自分の役を見立てて、各自で練習するだけです。だから収録現場では全体の流れを読んで、他の声優がいい感じで声を当てているときはその流れに乗るとか、そのときどきの空気を察して反応しなければなりません。現場ではずっと感覚を研ぎ澄ましておく必要があるんです。
でも、それだけでぼくにはものすごい刺激になるし、ときには共演者に背中を押してもらったり、逆に走りすぎたときは引っ張り戻してもらえたりすることがあって、足並みもそろうんです。コロナの感染を防ぐためには致し方ないと思いますが、せっかく同じ作品で共演できたのに収録が入れ違いになることも多くて、特に若いやつらと交流する機会が減りました。もう一度キャストが一同に集まれるような世の中になってほしいですよね」
──先に他の方が収録して、それを聞きながらアフレコすることもあるんですか?
「もう当たり前のようにありますよ。そういうときは後に収録するほうがやりやすいんです。スタジオに行って“まだ誰も録っていません”と言われるのが一番怖い。収録の順番は声優のスケジュール次第なので、運任せです」
台本を保管しておけないくらい仕事量が増えた
──もともと舞台俳優をやってらして、山路さんの芝居を見たテレビプロデューサーの誘いで声優の仕事もやるようになったんですよね。その後はアニメの吹き替えもやっておられますが、舞台での演技と映画の吹き替え、アニメの仕事の中ではどれが一番お好きですか?
「元が舞台育ちなので、やっぱり舞台が一番楽かもしれません。初めて声優の仕事をしたときは、どこまで演技をすればいいのか、どのくらいの声量で演じればいいのかがわからなくて難儀した記憶があります」
──声優をやるようになってから変わったことなどは。人生観が変わったりしました?
「人生観はあまり変わらないですけども、声の仕事をするようになってからは、台本を手元に残しておけなくなりました。役者だけをやっていた頃、ぼくは自分が出演した舞台や芝居の台本は全部取っていたんです。そういう性格なんですが、声優をやるようになってからはそれができなくなった。全部残していたら大変な量になってしまうんですよ」
──舞台中心だった頃は、1つの作品に対する思い入れが強かった?
「そうですね、力を入れ過ぎていることが多かったです。それで若い頃、綿引勝彦さん(※1)に、“おまえ、芝居の一本一本をお祭りだと思っているようなら、まだまだだぞ”と言われたことがありました。祭りって、神輿(みこし)を担いだり、活気もあるし、みんな熱くなるじゃないですか。若い頃のぼくはそんな感じだったんでしょうね」
(※1)綿引勝彦(わたびき・かつひこ):時代劇から刑事ドラマまで幅広く出演した名バイプレーヤー。強面(こわもて)の役が多かったが『ピカチュウ』のCMに出演するなど子供たちにも人気があった。ダイハツのCMではブルース・ウィリスと共演。CMの中でブルースの吹き替えをする場面があり話題に(2020年没)。
「そういった意味では、声優をやるようになって力が抜けた部分はあるかもしれません。アニメをやるようになってからはよけいに力が抜けたかな。映画の吹き替えは台詞の量が膨大になりますが、アニメはそれほどでもありません。お年寄りというか、人生を達観したような、それでいて時々とぼけたりするような役が多いので楽しくやらせてもらっているし、それでバランスが取れているような気もします」
──『ワンパンマン』(※2)のシルバーファングや、この春に話題になった『SPY×FAMILY』(※3)のヘンダーソン先生などはそんな印象です。
「年を取ってきたので、そういう役が増えているのでしょうね。そういう役をもらうためにも、長生きするしかないですね(笑)」
(※2)『ワンパンマン』:凶悪な怪人もワンパンチで倒してしまう最強の人物・サイタマが、趣味でヒーローをやりながら、次々に現れる怪人たちを撃破していくアクションコメディ。2015年に第1期、2019年に第2期が放送され、第3期の制作が決定している。
(※3)『SPY×FAMILY』:任務遂行のため、スパイの男が、殺し屋の女、超能力者の少女と、お互いの正体を隠したまま「仮初(かりそめ)の家族」を築き、日常の裏でさまざまな事件に遭遇するスパイアクション・ホームコメディ。2022年4月に第1期が放送され、10月より第2期が放送の予定。
字幕映画にはなくて、吹き替え版にはある映画の楽しみ方
──最後の質問になります。映画ファンには“字幕派”と“吹き替え派”がいますが、吹き替え版ならでの楽しみ方を教えてください。
「字幕版と吹き替え版の一番の違いは、情報量の多さです。字幕は表示する文字数に限界があるので、情報が飛び飛びになって意味が伝わりにくくなることがあります。吹き替え版だと、たとえば夜のダイナーやバーで1人思案している場面でも、他のテーブルの会話なども入れられるので、空気感も伝わります。吹き替え版だからこそ伝わることがいっぱいあるんですよ。
吹き替えの仕事は、これからもずっと続けていきたいと思います。ジェイソン・ステイサムやソン・ガンホみたいに20年も吹き替えをやらせてもらっている俳優もいますが、新しい俳優にも挑戦したいです。たまにね、“へんな役者が出てきたんだけど、吹き替えやってよ”と言われることがあるんですが、そういうご指名があると、ほんと、うれしくなるんですよ」
(取材・文/キビタキビオ)
《PROFILE》
山路和弘(やまじ・かずひろ) 1954年、三重県生まれ。1979年に劇団青年座に入団後、舞台を中心にドラマ、映画で活躍。声優としても洋画の吹き替えを中心に多数の役を担当している。歌唱力にも定評があり、2011年に出演したミュージカル『宝塚BOYS』『アンナ・カレーニナ』で第36回菊田一夫演劇賞(演劇賞)を、2018年には第59回毎日芸術賞を受賞。近年はアニメーションの出演も多く、『進撃の巨人』『ONE PIECE』『SPY×FAMILY』などの人気作品にも出演。現在、放送中のNHK連続テレビ小説『ちむどんどん』では、前田善一役で出演している。