カメラマンもデザイナーもライターも、出演者も「ノーギャラ」
──最初の制作費はどうされていたのですか。
「もう全部自前です。それは今も変わりません。あとはみなさん全員ノーギャラで手伝ってくださっているのが大きいですね。出演者も執筆者も、デザイナーもカメラマンも、SHOW-OFFに関してはノーギャラです。今、費用としてかかっているのは印刷費だけですね。2号目から広告が増えたので、ページ数も増やしたんです。でも印刷費以上の広告収入を得る必要はなかったので。まずは印刷費だけまかなえればって思っていました」
──『SHOW-OFF』の表紙に著名人が出るようになったのはいつくらいからですか?
「いちばん初めに有名人に出てもらったのは、なお君かな(と言って、表紙を差し出す)」
──なお君?? 俳優の大森南朋さんじゃないですか!
「友達の友達みたいな。当時の表紙はみんな、誰かしらの知り合い(笑)。高円寺は今みたいに芸人の街というよりは、どっちかっていうとロックの街だったのでミュージシャンとのつながりが強かったんです。でもここ最近は、芸人さんがガーッと来ていますね」
──増子直純さん(バンド「怒髪天」のボーカル)も、表紙になっていますね。
「増子さんって、私が古着屋の『HOT WIRE』をやっていたときに来ていたアメリカン雑貨の業者さんだったんです。だから彼は『HOT WIRE』のこともよく知っているはず(笑)」
──確かに増子さんがフムニューのインタビューに登場された際も、昔、雑貨店の店主をしていたと語られていました! ちなみに表紙を誰にするか決める際に、“ちょっと違うな”っていうことはありましたか?
「そういうことはありますよ。有名だからいいわけじゃない。例えばですけど、キムタクが表紙をやってくれるっていったらそれはもちろん嬉しいですけど、高円寺のイメージとは違いますよね(笑)。やっぱり直球ではないというか。以前に知り合いから、バブルが似合いそうなある女性タレントさんを表紙にとすすめられたけれど、お断りしました。街のイメージとそぐわないと違和感がありますからね」
──やはり、そこは高円寺のイメージと合うかどうかが重要なのですね。
「これだけ長く続けていると、出たいという人から声をかけられるんですよ。私がよく行っているバーにマヂカルラブリーの村上さんも来ていたらしくて、ずっと“『SHOW-OFF』に出たい”って私に言っていたらしいんです。本当、失礼なんですけど、全然覚えてなくて(苦笑)。私はそれを鼻であしらって、“もっと頑張ってからね”って言っていたらしいです(笑)。今はもう大逆転ですよね」
──私の周りでも『SHOW-OFF』に出たら高円寺に認められたということと言っている子がいました(笑)。
「それってやっぱり高円寺という街がなせる技なんじゃないかなっていう気もしていて。
最初にみうらじゅんさんにオファーしたときも、ノーギャラというお話をして受けてくれたんですが、“これが渋谷のフリーペーパーだったら絶対に無償はないんだよ”って言われたんです。“高円寺のフリーペーパーだからお金はいい”って。高円寺っていい街だなと思って」