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ダイアモンド☆ユカイ、公務員への道から一転、ロックの世界に! “成り下がり時代”を振り返り「天狗だった」

SNSでの感想
黒ハットにペイズリー柄のスーツがめちゃくちゃお似合い! 撮影/伊藤和幸
目次
  • 舞台では特に歌で貢献したい。ロックンロール精神にあふれたバンド時代を回顧
  • “成り下がり時代”にも意味はあった。畑違いのバラエティ番組でまさかの大奮闘
  • 初ミュージカル『ミス・サイゴン』は超ハード! 本作への出演が大きな転機に

 伝説的ロックバンド『RED WARRIORS』のボーカルとして一世を風靡し、解散後にソロ活動を開始してからは、音楽活動に加えて映画、舞台、バラエティ番組と多岐にわたって活躍を続けるダイアモンド☆ユカイさん。2022年11月からは、ミュージカル・ショー『SEVEN-シンドバッド7つの航海-』に出演し、お芝居だけでなく、歌も披露されるとのこと! 意気込みとともに半生を伺うと、大きなターニングポイントがいくつもありました──。

舞台では特に歌で貢献したい。ロックンロール精神にあふれたバンド時代を回顧

──『SEVEN-シンドバッド7つの航海-』の演出は、宝塚歌劇団で数々の名作ショーを世に送り出している三木章雄先生ですが、今回もショーの要素が強いミュージカルになりそうですね。

妻と中1の娘が宝塚の大ファンで、公演DVDを繰り返し見るほどハマっていますから、三木先生が演出する舞台に出させていただけるのは最高に楽しみですね。娘は今、アーティスティックスイミングでオリンピックを目指しているのですが、小学校高学年のころは、タカラジェンヌかオリンピック選手を目指すか、迷っていたくらいなんです。身体能力が異常に高くて、運動会では2位の子に、“10馬身差”をつけてゴールするほど。これは何かスポーツをやらせないともったいないなと、いろいろ挑戦させたんですが、最終的にアーティスティックスイミングに落ち着いて、選手として本格的に取り組み始めました。だから、宝塚受験は諦めたんですよね。

 三木先生のショーはジャンルを問わず、さまざまな音楽を使って構成されています。どんな音楽にも詳しい博識な方で、ロックもお好きなんですよ。ロック親父としては、うれしい限りです。今回も、俺にぴったりの曲をたくさん使ってくれていてありがたいですね

──今回は、宝塚の元トップであるOG3人やジャニーズJr.のみなさんと共演されますが、稽古場の雰囲気はいかがですか?

「以前、『なにわ男子』の藤原丈一郎くんと大橋和也くんとは舞台でご一緒したことがあるのですが、そのときもこちらは、経験こそ豊富かもしれないけど、全然ダメダメでね。俺に比べると、きちんとレッスンを受けてきたジャニーズのみなさんは優秀。宝塚OGの3人も完璧ですよ。あれだけ舞台の訓練を受けてきた方々だから。稽古前に台詞(せりふ)もちゃんと覚えてくるしね。俺なんか覚えようと思っても、全然入ってこない(笑)。

 この作品で俺ができることと言えば、バリバリ実力派のみなさんの中に入って、場の空気を和らげるという感じかな。主役は中村嶺亜くん(7 MEN 侍』/ジャニーズJr.)で、バンドでギターなんかも弾いているから、一緒に音楽の話をしました。黒田光輝くん(『少年忍者』/ジャニーズJr.)も完成されているから、自分は凸凹な部分を担当しようかなと俺にしかできないオリジナリティが出せれば。そういう意味では、歌で貢献したいなと思っています

──ダイアモンド☆ユカイさんといえば、筋金入りのロックンローラーですが、そもそもミュージシャンになろうと思われたきっかけは?

やっぱりビートルズですね。今でも大好きで、ラジオ番組『FM 795 Hello サムシング!』でビートルズの番組をやっています。30分間、ビートルズのことしかしゃべらないんですが、長年やっているのに話題が尽きないんですよ。そして、1曲は弾き語りをします。もう、ほとんどの曲を演奏しちゃいましたね。

 ジョン ・レノンが音楽の入り口で、いちばん影響を受けてはいますが、ミック・ジャガーからエアロスミス、ジェームス・ブラウンまで、ヒップホップ以前の音楽全般が好きです。80年代くらいまでかな。

 それで、やっぱり自分でも音楽をやりたくなって、中学のときにバンドを組んだんです。大学まで続けていたけど、当時はプロになろうという気持ちはなかった。両親が公務員同士で共働き家庭のひとりっ子で、のほほんと、ぬるく生きてきたので、バンドは単なる趣味のつもりだったんです。

 でも、就職活動の時期に周囲も自分もバンドをやめて、“自分が本当にやりたいことは、なんだろう”と悩み始めたんですね。そのとき出合ったのが、偉人の金言を集めた自己啓発本。その中で見つけた、“人生の主役は自分なんだ。人生を無駄にしてはいけない”という言葉を目にしたとき、ハッと目覚めて。そこから、親が求めているというか、当然歩むだろうと思っていた“公務員になる”という道を全部ひっくり返して、ロックの世界に飛び込んだんです。自分の人生だから自分で決めようと

──デビューされた'86年以降はバンド全盛の時代ですが、プロへの道はどのように切り開いていったんですか?

「新たにバンドを組んだら、とんとん拍子にデビューまでいっちゃったんです。夢を本気で追いかけていくと、助けてくれる人たちが現れるもんだな、と。それがバンドのメンバーだったんですよ。ひとりだったら、たぶん悪戦苦闘していたんだろうけど、仲間と出会えたことで、夢がわりと簡単に叶(かな)っちゃったんですよね。

 “時代をぶち壊す!”、それがロックの精神。俺、ただのボンボンだったくせに、ロックを聴くと何かに憑依されたかのように、“ロック魂”が目覚めちゃうんだよね。例えば、オーディション中、最初はまじめにパフォーマンスしていたんだけど、だんだんと気分が高揚して、持っていった一升瓶を審査員の前でバーンと割っちゃったことがあって。さらに“ロックをオーディションなんかで決めるな!”ってかましたら、失格になっちゃったり(笑)。ツッパって、いろいろやらかしてましたね。

 結局アマチュアバンドとして1年ぐらい、自分たちでツアーを開いて、ボロボロのバンを買って会場をまわっていたんです。今だったら普通だけど、当時はインディーズって、あんまりなかったんですよ。そんな中で、東京・新橋の『ヤクルトホール』(現在の名称は『ニッショーホール』)を1年後に押さえておいて、“開催日にはここを満員にしてやろう”と思って、いろいろなレコード会社や事務所を呼びつけておいたんです。そうしたら計画どおり、ヤクルトホールが満杯になっちゃって。結果、オーディションを受けるのではなく、俺たちがオーディションしたんだよね、レコード会社や事務所を(笑)。そんなバンドでした。ロックンロール精神があったね

「とにかくがむしゃらにイキってたね(笑)。でも音楽には真剣でしたよ!」と明るく話す 撮影/伊藤和幸
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