家族がいるから頑張ってこられた
葛󠄀山の芸能生活は1991年に始まる。前年に第3回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストでグランプリを獲得。コンテストの同期に原田龍二(準グランプリ)が、1期上のグランプリに武田真治、1期下には袴田吉彦がいる。俳優デビュー作となったドラマ『ヴァンサンカン・結婚』は主演が安田成美で、葛󠄀山は相原勇と同棲(どうせい)している青年の役だった。1992年には歌手としてもシングル『二人を認めない』、アルバム『青春の旅路』を発表。
結婚は2002年10月。『仮面ライダークウガ』や『真珠夫人』に出演して知名度が上がり、仕事が安定してきた時期だった。
「出会ったころは僕が29歳で、彼女が27歳ぐらいでした。音楽関係のスタッフと食事をしながら打ち合わせをしているところに、後からマネージャーが合流したんですが、たまたま彼女も一緒に来たんです。1年ちょっと付き合いがあってから、30歳で結婚しました」
気がつけばもう20年近く。夫婦円満で2人の女の子にもめぐまれた。
「早いものですね。僕にとっては家庭が一番ありがたい存在で、家族がいたことでここまで頑張ってこられた。子どもも小さいときは本当に “かわいいかわいい”で(笑)。娘2人ですから、もう愛おしくてしょうがなかったですね。
妻は非常に明るい性格です。困難な状況でもぜんぜんネガティブにはならず、冷静に考えていろいろなアドバイスをくれて、マイナス思考には陥らない。けっこうあっけらかんとしているタイプで “いいんじゃない” “それはしょうがないじゃない?”といった感じ(笑)。彼女の明るさには本当に助けられています」
演技を楽しめるようになった舞台
仕事の面では30代〜40代は舞台が中心となっていった。
「結婚してから圧倒的に舞台の仕事の割合が増えたんです。意識的にそっちに振っていたんですけれど、最初は年に1本から始まって、多いときは年3本もお話をいただくような形になりました。スケジュール的にも舞台はオファーをいただくのが早いので、その間に2時間ドラマのお仕事を挟み込むような形で舞台が軸になりました」
『燃えよ剣』(2004年)の沖田総司役を皮切りに、数々の作品に出演。特に印象に残る作品として葛󠄀山があげたのは、ミュージカルの『アンナ・カレーニナ』(2006年初演)だった。
「すごくいい経験というか、いい出合いになりました。ミュージカルということで最初は尻込みしていて “歌は好きですけど、ダンスはうまく踊れませんよ”と。ただ台本を読ませてもらったらとてもいいお話で。主役のアンナは悲劇なんですけど、僕がいただいたレイヴィンという役は最終的にハッピーエンド。 “これはすてきだな”っていう役だったんですね。
ミュージカルといっても芝居の中に音楽がある、ときどき歌が出てくるという作品で、あくまで芝居がメイン。演出の鈴木裕美さんは、人物の気持ちを丁寧に演出される方だったので、教えてもらうこと、学ぶことが多かった。とても刺激を受けました。
鈴木裕美さんとは翌年『宝塚BOYS』(2007年初演)をやらせてもらい、再演もありました。『アンナ・カレーニナ』も再演・再々演と3回やらせていただいて。30代はそこが大きかったですね」
明治座など和ものの舞台でも経験を積んだ。
「40代は『細雪』に出させてもらいました。旧家の四姉妹の物語で、貞之助という次女の旦那さんの役。僕の前には篠田三郎さんが何年もやられた役なんですけど。次女は、最初は賀来千香子さんでした。四姉妹の女優さんは年ごとに変わっていきましたが毎回華やかな座組で、『細雪』はもう4回ぐらいやらせてもらっています」
さらに『祇園の姉妹』『仮縫』『土佐堀川』といった作品や『真田十勇士』などに出演。
「役を演じる楽しさを味わえるようになったのは、舞台のおかげです。ひとつの脚本ひとつの作品を読み込み1か月ぐらい稽古を重ねて、さらに1か月ぐらい公演を重ねて。何十回何百回とトライするなかで、考えながら芝居をさせてもらえる。本当に舞台をやっていることが楽しいです」