元・光GENJIの佐藤寛之と山本淳一へのインタビュー第3弾。2023年5月2日から始まった、少年隊・植草克秀の東名阪ツアー『MOVING ON-SECOND SEASON-』にゲスト出演している佐藤と山本。今年8月には植草、佐藤、山本の3人でのイベントが開催されることも発表され、今後も彼らの音楽活動は精力的になりそうだ。
インタビュー第1弾では今回のライブにゲスト出演することになったきっかけ、第2弾は少年隊や植草克秀への熱い愛を語ってくれたが、ラストとなる今回は、光GENJIの楽曲に対して、今の思いを語ってもらった。
(インタビュー第1弾→元・光GENJIの“仲良しコンビ”が大先輩・植草克秀のステージに出演! イメージカラー決定の経緯も明かす / 第2弾→光GENJI「新宿駅で降車NG」「荷物のフリして移動」当時の仰天エピソードと少年隊への“強い憧れ”)
総合1位は「ガラスの十代」! 「まさに当時の僕らをイメージした楽曲」
掲載しているランキング表には、'21年7月にラジオ番組『渋谷のザ・ベストテン』(渋谷のラジオ、現在は終了)で発表された“光GENJI限定ベストテン”の結果を示した。これは、シングル累計売り上げの順位を30%、カラオケ歌唱回数('20年)の順位を25%、そしてTwitterでのファンリクエスト(ひとり5曲まで)の順位を45%加味して、人気音楽番組だった『ザ・ベストテン』にならって集計した総合ランキングとなっている。なお、各要素の比率に明確な意味はないが、(リクエスト)>(シングル)>(カラオケ)として、現在のファンの意見がもっとも反映されるように調整している。
その結果、総合1位はシングル売り上げが圧倒的な3rdシングルの「パラダイス銀河」ではなく、この曲以上にカラオケやリクエストが強い2ndシングルの「ガラスの十代」となった。これについてふたりは、
佐藤寛之(以下、「佐」)「楽曲を聴いても、パフォーマンスをしていても、『ガラスの十代』はかなりテンションが上がりますからね。歌詞ひとつとっても、十代ならではの繊細な、まさに当時の僕らをイメージした楽曲だから、この総合1位は納得ですね」
山本淳一(以下、「山」)「僕も、歌詞が素晴らしいと思いますし、何より出だしのソロパート、“言わないで 言わないで さよならは間違いだよ〜”の部分を歌わせていただいた曲でもあるので大好きです! あの歌い出しは、いつもドキドキでしたね~」
「荒野のメガロポリス」はASKAから山本淳一に直接の“ガチ指導”があった
そして、2位にはデビューシングルの「STAR LIGHT」が続き、3位には'90年発売の8thシングル「荒野のメガロポリス」がランクイン。後者については、当時、バンドブームに突入し、アイドルが出演できる音楽番組も減っていたこともあり、シングル売り上げは8位。しかしながらリクエストが2位で、総合順位を巻き返した。これについては、
山「『荒野の〜』は、『PLEASE』との組曲になっているから人気なんでしょうね。『PLEASE』や『いつか きっと…』も、出だしのパートを担当させてもらったから思い入れが強いです。『いつか きっと…』は、ASKAさんにレコーディングを指導していただきました。(ASKAさんそっくりな口調で)“山本ぉ~、目をつぶって情景を思い浮かべながら歌え~。歌詞、頭に入ってるだろ?”って言われて、たった2小節なのにものすごく緊張しました」
光GENJIは'88年2月から'92年10月までの約5年間、音楽番組『ミュージックステーション』に、ほぼ毎週出ていたが、当時はどんな気持ちだったのだろうか。
山「毎週のように出させてもらっていて、その日の放送が終わった途端、次週の企画をどうしようかって夜中から朝方にかけてスタッフさんと打ち合わせていました。毎回、1回きりの放送のために振付や演出を覚えて、まさに真剣勝負でしたね」
佐「あのころは若さに任せて、録画も本番も関係なく、とにかく一生懸命でした。生放送は『Mステ』の他に『ザ・ベストテン』『ザ・トップテン』、さらに『スーパージョッキー』もありましたからね」
山「育ててくださったみなさん、ありがとうございます! って気分です」