JR中野駅前にある文化複合施設・中野サンプラザが、2023年7月に閉館します。中野サンプラザを愛する中野区民は多く、閉館を惜しむ声は少なくありません。なぜ、ここまで区民に愛されているのか。中野区出身&中野在住歴の長い筆者が、その魅力に迫っていきます。
第2弾は、同施設を運営している株式会社中野サンプラザ 執行役員の渡邊武雄さんにインタビューしました。
【第1弾記事:中野サンプラザが2023年7月に閉館。“アイドルの聖地”であるホールの裏側、チャペル、ホテルまで全貌を徹底レポ】
中野区民にとっての“晴れの席”で使われ、思い出を刻む
──中野サンプラザは1973年に勤労者向けの福祉施設として建設され、当初は「全国勤労青少年会館」という施設名だったんですよね。その後、愛称だった「中野サンプラザ」が正式名称になったそうですが、現在のサンプラザと中野区の関係を教えてください。
「もともとは、独立行政法人雇用・能力開発機構が所有し、財団法人勤労者福祉振興財団が運営していました。区に譲渡についての打診があり、2004年11月に中野区・金融機関・企業等が出資し中野サンプラザの所有会社として『株式会社まちづくり中野21』を設立し、同社が2004年11月に中野サンプラザを取得しました。
現在は、中野区が株式会社まちづくり中野21の株式を100%保有しており、運営は株式会社まちづくり中野21の完全子会社である『株式会社中野サンプラザ』が行っています」
──つまり現在は、中野区が中野サンプラザを間接的に所有し、運営しているということですね。中野サンプラザを利用しているお客様からは、どんなお声をいただきますか?
「『入学式や成人式で利用した』『結婚式など人生の節目で利用した、思い入れがある施設』『20階のレストランは、家族でよく利用している』『毎年、忘年会・新年会はここだった』『地方からコンサートに来るときに、宿泊施設も備えているので便利』などです。特に中野区民にとっては“晴れの席”で使われることが多いので、みなさんの思い出の中に中野サンプラザがあるようです」
──閉館が決まってから、中野サンプラザに縁のあるアーティストの方々はSNSで悲しみをつぶやいていらっしゃる方もいますよね。中野サンプラザホールの魅力は何だと思いますか?
「2000人くらいの規模が、ちょうどいいんですよね。昔は、厚生年金会館(※現在閉館)、渋谷公会堂、中野サンプラザが2000人くらいのホールで、アーティストの方は、これらを経てもっと広い会場へステップアップする感じでした。
開館当時から現在まで使用しているあるアーティストの方は、ファンの方との距離感を大切にしていて、自分の曲を知らない人でも楽しめるようなコンサートにしたいと考えているようです。それが可能なところが、この“昭和の会場”のいいところだと思います」
大きなドームでのコンサートも素敵ですが、席によっては、肉眼で見えるアーティストは豆粒くらいの大きさなので、曲を知らない人にとっては、楽しめないこともあるでしょうね。個人的にも、現在は“アイドルの聖地”となっているところが、「中野らしいカルチャーを発信しているホール」だと感じています。