奇跡の50代ともいわれる美肌とスタイルの持ち主にして、コスメブランド『FTC(フェリーチェトワココスメ)』のクリエイティブディレクターでもある君島十和子さん。最近はYouTubeやInstagramで“十和子流”のスキンケアやメイク術を積極的に発信するなど、文字どおりの“素顔”を披露。美のカリスマとして多くの女性に支持されています。
インタビュー第2弾では、君島さんご自身が実際にスキンケアメーカーの商品開発に携わるまでのエピソードを伺いました。(君島さんが美肌を追求するようになった意外な原点については、インタビュー第1弾で語っていただきました→君島十和子さん、日焼け・乾燥・厚塗りメイクが原因で「肌が汚い」と叱られ続けた日々をバネに“美肌の道”へ)
美容コラムが大反響。日焼け止めクリーム開発のきっかけに
主人(君島誉幸さん)と結婚後、芸能界は完全に引退していたのですが、あるとき旧知の編集者から、「美容のことを話してください」と小さなコラムの取材を受けました。そのとき語った「夏の肌のつくり方」が読者の方に大反響だったんです。
美容関連の取材が増え、実際に自分で買って試してみた化粧品についてコメントしたり、自分が苦労したスキンケアのことを雑誌などでお話ししていると、あらゆるメーカーさんから新製品を送っていただけるように。自宅も会社も化粧品がテーブルに乗りきらずに、あふれ返るくらいでした。幸い私は肌が強いこともあり、さまざまな化粧品をリトマス試験紙状態で試して、率直な感想を言わせていただくようになりました。
自分の中に、20代で経験した日焼けのダメージに対する恐怖心がずっとあったので、そのころから、こんな製品があったら日焼けを防げるのに──という構想が生まれていました。初めはただの夢にすぎませんでしたが、30代になって実現することができたのです。
最初に作ったのは、紫外線対策のUVクリーム。肌が老化する原因の80%は紫外線で、加齢による自然の老化は20%といわれています。つまり、80%は自分で老化が防げるということを知り、紫外線対策を積極的に取り入れたくなりました。'90年代まで、紫外線の悪影響を指摘する人はほとんどいませんでしたが、実は蛍光灯からも紫外線は出ているんですよ。
当時はSPF(「Sun Protection Factor」の略。 紫外線防御効果を意味し、肌が赤くなる日やけの原因となる紫外線B波を防ぐ指標として使われる)の数値の表記も曖昧(あいまい)で、安全性もよく知られておらず、とりあえず最高値のものを肌に塗るべき、という時代。今はSPF50以上の商品も多いですが、そのころは「いい製品だ」と納得できるものに出会えなかったので、それを目指して開発しました。ベタベタして油っぽい、白くなりやすい、乾燥する、そんな日焼け止めのマイナスなイメージを少しずつ改善しながら、試行錯誤の末に完成させたのがFTCの最初の製品です。
そして、これを当時関わっていたファッションの店の片隅で販売したら評判を呼び、洋服を買うついでに購入してくださる方が増えていきました。
さらに「この日焼け止めの前と後に使える商品が欲しい」というご要望をいただいたことが洗顔ムースや化粧水の開発につながり、'05年に自身のコスメブランド『FTC』が誕生するのです。